人生、最後まで気を抜かないで走り続ける

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「100年時代の人生戦略」を自らに置き換えてみると、私の人生は行き当たりばったりで、私の友人たちの中では最も思慮の浅い選択の連続だったと思うのですが、運がいいというのか人に恵まれているというのか、立ち位置としてはまずまずのところにいるなと感じています。
もし、44歳で一本道のサラリーマン人生におさらばしていなかったら今の好位置はないと思っています。サラリーマンは遅かれ早かれ退職という自らが決めることができない壁があります。私が銀行の人事部にいるとき、60歳代前半のOBで鬼籍に入る人が何人かいらっしゃいました。会社一筋と自分が思うほど会社は社員を大事にしてくれません。頼りにすることが間違っているのです。
収入や肩書きという有形資産よりもやりがいや生き甲斐という無形資産を持っていないことが大きいのだと思います。サラリーマン一筋、会社一筋の人生はよっぽど自分が意識していないと侘しい人生になるような気がします。
昭和30年代後半に、植木等は”サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ”と歌いましたが、特に上昇志向が強いサラリーマンにとって、サラリーマンは決して気楽な稼業ではありませんし、人生100年時代になれば、それこそサラリーマンには惨めな老後が待っている、”サラリーマンは過酷な稼業ときたもんだ”なのです。
今のところ、私は結果オーライで一本独鈷の人生ですが、これから100歳までの35年間を如何に戦略的思考で以って人生を送るかが、人間の価値を決める勝負であり、我が人生を幸せなものにするかどうかなのです。
これも妻のおかげ、子どもたちのおかげ、私をサポートしてくれる数多くの皆さんのおかげなのだと思います。
よくどうしようもない自分を支えてくれたと、本音でそう思うのです。
これからの35年、45年、55年は、そのお返しをする期間だと思っています。
小林 博重
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