孫に恥じない人生を送る

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今朝は昨日以上に過ごしやすい朝でした。7時の室温は26.9度。クーラーの快適さとは比較にならない健全な快適さです。おかげで5時までぐっすりと快眠することができました。如何に人間の英知は素晴らしいものがあると言っても自然の計り知れない力には決して勝つことはありません。賢い人間ならば、自然と人工の調和を追求することで人類の進歩を描くことが不可欠と思います。
5時半に事務所に出向き、久しぶりに稲盛和夫さんの講話(CD)に耳を傾けました。「幸せな人生を送るために」と言う演題です。
人間の生きる目的・意義は『心を高める』こと(心とは正しい考え方)であり、心が高まると幸せな人生を送ることができるという稲盛流人生論です。
稲盛さんは、それをビッグバンから説かれます。
1個の素粒子から宇宙が誕生し、宇宙は休むことなく日々拡大している。そこには全て良かれかしと言う宇宙の意志があるのだ。そうでなければ生成発展する宇宙の拡大現象を説明することはできないと。稲盛さんは技術者であり、一般的にそのような方は心霊現象なるものを信じないと思いますが、その稲盛さんは、ビッグバンセオリーを説く権威ある学者諸氏との意見交換のなかで、そのような結論に至ったのです。そのような宇宙の意志、宇宙の流れに沿った人生を歩むことが、人生を平らかにし幸せにするのだとか。
稲盛さんは彼の著書である「生き方」の第5章「宇宙の流れと調和する」の中で、「人生を司る見えざる大きな力」について述べています。
人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。
一つは運命です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。
では、人間は運命の前ではまったく無力なのか。そうではないと思います。もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが「因果応報の法則」です。
つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことです。
私たちに起こるすべてのことがらには、必ずそうなった原因があります。それはほかならぬ自分の思いや行いであり、その思念や行為のすべてが因となって果を生んでいく。あなたがいま何かを思い、何かを行えば、それらはすべて原因となって、かならず何らかの結果につながっていきます。また、その結果についての対応が、再び次の事象への原因と化していく。この因果律の無限のサイクルもまた、私たちの人生を支配している摂理なのです。
運命と因果律。その二つの大きな原理がだれの人生をも支配している。運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られているわけです。
人生が運命通りにいかないのは、因果律のもつ力がそこに働くからです。しかし一方で、善行がかならずしもすぐに善果につながらないのは、そこに運命が干渉してくるからなのです。
ここで大事なのは、因果律のもつ力のほうが運命のもつ力をわずかに上回っている。そのため私たちは、もって生まれた運命でさえも因果応報の法則を使うことで変えていくことができるのです。
したがって、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在でもあるのです。
人生は、人のために尽くすことを先に考え、明るく前向きに生きることが宇宙の意志と合致する生き方であり、幸せな人生を送ることになるのだと思います。
また、運命と因果律は30年タームでは辻褄が合うようになっているとか。あの世まで入れれば100%の確率で一寸の違いなく辻褄が合うのが宇宙の真理だとか。
昨夜の夢は、今際の際(いまわのきわ)に私が孫に我が人生と夢を語るものでした。孫に恥じることのない人生を送りたいものです。
小林 博重
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