今までの自分の生き方を自省して、「大人になる」とはどういうことか考えてみます。
正義とか大義とか正しいとか真摯とか、人間としてのプリミティブな原理原則を絶えず念頭に置いてそれに従って生きることが「大人になる」ことの充分条件ではないと思うようになりました。それに一つ加えることです。それは「自分に厳しく、他人に寛大に」という思考です。
若い時、私は「濁世に染まらずピュアに生きる」ことが真の大人になることであり、いい加減な人間がワンサカ生存する世の中は「濁世」であり、現実の世界は濁世なのだ、その中で孤高を保って生きることを理想の生き方と思っていました。しかし、それでは世の中はいい加減な人間の集まりであり、全ては敵だ、というところにまで行きつきます。
現実問題、私は人間が大好きなくせに人間を敵にしてしまう、人間関係がギクシャクしてしまうことが間々ありました。
銀行を退職し、私なりに苦労の水を飲み、少しづつですが分かってきたことは「自分に厳しく、他人に寛大に」の思考がないと、人は私に協力してくれないということです。
人は時々ウソをつきます。人は時々約束を守りません。人は人を羨ましく思ったり妬んだり嫉んだりします。それは人間の弱い性であり、人は、そのことを決していいことだと思っていなくてもそのような言動を取ってしまいます。
私も聖人君主ではありませんから同じ考えをすることがあります。しかし、それは人間としていけないことであり、その弱さを克服することが「学ぶ」ということなのだと自分の心に言って聞かせます。しかし、それを人に求めてはならないと思うようになりました。
日々生きていると人の弱さに出会います。その時、どのように思い考えるかです。
人の性は弱いものだと冷静になって思えば、腹も立ちません。ちょっと時間をおいて反応すれば人間関係はギクシャクしません。すべての人間は平等で対等なのですが、そんなときはちょっと上から目線になって、落ち着いて反応すればいいのだと思います。
間もなく私は65歳になります。前期高齢者です。そろそろ大人(おとな)になって、大人(たいじん)の入口に辿り着きたいと思います。
小林博重