「人生の苦難に遭った時、誰かのためにそうさせられたと思う人は多いけれども、自分の人生を選んだのは自分だと思った方がいいんじゃないかと思います。何があろうと、自分の性質のお蔭でこうなったと思えば誰も恨むことはないし、心平かに反省の日々を送ることができます」 「折に触れ、ちょっとしたことで感心してそれが血肉化される、そういうことで人間は成長していくものだということが、九十歳を越えた頃からわかるようになりました。 だから、人生にムダというものは何もないですよ。ムダのようで心にとまったことはいつか、自分の血の中に入ってくるんです」
「生きていれば、損をしたり傷ついたりするかもしれません。けれど、やれ損したとか、やれ傷つけられたとか、そんな風に考える前に、私は先へ進んでいく。だから、恨みつらみが育つヒマがないんですよ」 「人生は思うに任せないことの連続ですよね。だけど、そこが面白いんです。何もない人生だったら、私にはつまらなかったと思います」 「何も苦しいことがなければ、幸福は生まれないのですよ。幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは、苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。 苦しいことだらけの人生を生きた私は、幸福な人生だったと思うんです。苦しい人生をいっぱい生きてきましたからね」
佐藤愛子さんの『それでもこの世は悪くなかった』(文春新書)からの抜粋です。
93歳の矍鑠とした佐藤さんの破天荒な人生。
「その人生を、正々堂々と、自由奔放に、強く、生き抜いてきた」彼女の逞しい人生哲学がほとばしる語り下ろしです。爽快な心持ちで一気に読了しました。
「私もかく生きたいものだ」と、残り三十数年の人生を生き抜くに於いて勇気をいただいた一冊でした。
小林 博重
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