濁世を楽しみながら思いのままに生きる

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つくづく私は人に恵まれていると思います。毎日のように人生を豊かにしてくれる出逢いがあります。人生真っ直ぐにそして素直に生きていると老若男女を問わず善き人たちが私の周りに集まってくれます。そして集まる人は皆、私に良い刺激を与えてくれ、私を成長させてくれるのです。
昨日は外苑前の居酒屋で北陸三県に関わる2人(長島章さんと小堂真由美さん)と杯を傾けました。当に「類は友を呼ぶ」の諺通りです。お互い出逢って日は浅いのですが、長年の友人であったかのようにそれ以上の親近感を持って会話が弾みました。ビジネスはビジネスライクだけの関係であったら、きっと長続きしないでしょうし心に残る事業の成功は見込めないのではないでしょうか。
心の純粋さと物事の捉え方の共通認識があって一大事業は成功するのではないかと思います。そこには日本的な義理人情があります。利他の精神があります。
長島さんが我々のマッチングビジネスを表して、はたと膝を打つ、当を得た言い回しをされました。
「化学反応が起こり新しいビジネスが生まれることが人と人とのマッチングの醍醐味だ」と。
当初、私のビジネスはせいぜい違う色の水を混ぜ合わせたくらいのマッチングだったような気がします。人が人を呼び、その呼ばれた人が別の人を呼ぶ。そのマッチングの中には一定の確率で化学反応を起こすマッチングがあるのです。私は、化学反応の速度を加速する触媒の役目がMapでありたいと思うのです。Mapはビジネスコラボレーションサポートを生業としていますが、当にその触媒の役目がMapのミッションだと思います。
ある人は私を「濁世を楽しみながら思いのままに生きている自由人」「私も小林団長のように生きてみたい」と仰います。私にとってはこれ以上の褒め言葉はありません。「楽しみながら思いのままに生きる。そしてそれが世のため人のためになる」ことは私にとって人生の成功であり幸せです。ここまで来るのに20年は掛かりました。今は少しでも長生きして夢の実現を見たいと思います。
現実は、まだ夢の入口が垣間見えているだけで、夢の実現にはこれからの精進努力・人間修行に掛かっています。一生懸けても完璧な人間になることができるほど人生修養は甘くはありませんが、棺を覆うときが人間の最高の姿であるように弛まぬ精進努力の積み上げをしていくことです。
「休みたいとか遊びたいとか思うたら、そのときは死ね。それが人間ぞ」という母に捧げるバラードは素晴らしい人生訓です。
小林博重