応援精神を極める

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昨日の関西七朋会で吉田佳世先生とご一緒し『応援』についていろいろ意見交換をさせていただきました。吉田先生は国立民族博物館の丹羽典生先生の奥様で日本学術振興会特別研究員PD(神戸大学)、専攻は社会人類学です。
「民博通信No.156」をいただきましたが、その号に「大学応援団におけるバンカラ文化と女子学生の参入」が寄稿されています。日本の応援団の歴史と現状が的確に述べられており、興味深く読ませていただきました。
私は大学生と留学生の応援団として3年前にNPO OUEN Japanを設立しました。私は高校時代から応援団に関わり本格的に東京大学で応援部一筋の学生生活を送りました。東京六大学(早稲田、慶應義塾、明治、法政、立教、東大)や旧七帝国大学(北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大)の応援団(部)仲間との交流は何物にも変えがたいものとして私の全人格を構成しています。
社会人になっても応援精神はビジネスのベースに潜在的に流れていました。その想いが顕在化したのが東大と東工大の国際交流宿舎建設に関わったことからでした。大学を卒業して社会に巣立つ大学生や留学生の応援団として何かできないか、私しかできないことがあるのではないか。それが私がこの世に生を享けたミッションなのではないかとまで思うに至りOUEN Japanを立ち上げたのです。 応援精神を私が直接的に具現化したものがOUEN Japanです。
そんなことで、吉田先生が述べていらっしゃる「[応援(support)]という視点から見えてくるもの」の記述はとても関心があるテーマです。
東大応援部には3S-spiritsがあります。
service、sacrifice、studyです。
私は、
service 奉仕→社会貢献、sacrifice 自己犠牲→活私奉公
study 勉強→人間修養
と意訳しています。
特にsacrificeの自己犠牲は私が滅したら何も貢献できないと思い己を活かし公(世のため人のため)に尽くすことは、私のなかでは応援の発展形です。それは、吉田先生が言うところの「応援が、黒子の心を持ちながらも自らを「演舞、テク」「チアリーディング」という形で積極的に表現する表舞台に登場する」ことでもあります。松尾芭蕉の『不易流行』の応援版と言えるでしょう。応援の進化・深化であり、浄化でもあると思います。
「男は黙ってサッポロビール」から「ダイバーシティ」「女神的リーダーシップ」へ。21世紀はそんな大きな潮流の時代ではないでしょうか。 私たちはその大きな流れに沿って、心ある仲間たちと手を携えて世の中を進化・深化・浄化させていかなければならないのだと思います。 そして、応援団(部)はその先頭集団として時代をリードしていく矜持を持ってもいいのではないか。
私は日々の活動を通じて、「利他の精神を持った応援哲学は必ずや時代をリードしていく」と強く確信するものです。
小林 博重
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