4時前に目が覚めました。(いつも起きるのは3時から5時の間です。前の日は午後9時過ぎには眠くなるので6時間以上の睡眠ですね。これが日課になりました)
徒歩2分で事務所に着きます。今朝は、1時間半ほどメールを見たり送ったりと一仕事を終えて、6時前に事務所を出て約2時間半の早朝ウォーキングを楽しみました。新緑が眩しく、5月らしい爽やかな朝です。
歩きながら仕事のことや応援部のことを考えます。ウォーキングならではの発想が出てきて、私の日常はオンオフなしです。サラリーマンを卒業して20年。先が見えて辞めたわけではありませんが結果all right。私は運がいい。
ウォーキングしながら第六高等学校寮歌「新潮走る」を口ずさみます。
混濁よ それ人の世か
粉乱よ それ世の様か
されど悲歌せじ徒に 吾等の使命重ければ
市(まち)の叫びを他所(よそ)にして
永遠(とわ)の理想に進まなむ
若いころは混濁し粉乱した濁世に掉さす人生を送っていたものでした。曲がったことに抵抗していた毎日でしたが、それを大目に見てくれた周囲の人たちのお蔭で何とか堅気の最たる銀行に曲がりなりにも20年間勤めることができました。入社して20年も経つと、もうそろそろ「まともな銀行員になれ」との声があちらこちらから聞こえてきて、バブルという外部環境も加わって、若気の至りで後先考えず荒れ狂う大海に飛び込んだというところでしょうか。
この歳になって気付いたことがあります。
濁世を生きるとは、濁世に掉さし、「森の石松気取り」で自分の想いだけに拘って生きるということではない。濁世を生き抜く大人になる必要があるのです。
では、大人になるとは?
大人とは濁世に染まって生きる人ではありません。濁世に生きるからこそ濁世に染まらぬ純粋さを死守し、夢や使命に向かって戦う強靭さを持って強かに生きる人のことです。人の痛みを分かる【恕の心】を持ち続けることです。大人(たいじん)になってこそ大人(おとな)になったと言えるのです。世の中には子どものような大人が多すぎる。喧嘩が強い人が大人ではありません。喧嘩をしない人が大人なのです。
そんなことを思いながら今日1日のスタートを切りました。
小林博重