生きとし生けるものは全て死を免れることはできません。秦の始皇帝秦は実際に不老不死の薬を求めかえって死期を早めたと言われています。はたして、不老不死は人間が望む究極の幸せなのでしょうか。人類は科学技術・医学の進歩により「人生100歳時代」を実現しましたが、何でもかんでも長生きすれば幸せだというものではないでしょう。
私は、高校時代の古典の授業で『大鏡』(岩波文庫)を学びましたが、この書物の内容は、9世紀半ばから11世紀初めに至るまでの天皇14代176年間の宮廷の歴史を190歳と180歳の長命な二人の老人が菩提講で語り合い、それを若侍が批評するという対話形式で書かれています。
その時10代半ばであった私は、大鏡を読んで「2世紀近く生きているという長命は、それはおめでたいことなのだろうか。実際のところ、彼らの子や孫、ひ孫はきっとこの世にいないであろう。不老不死は実は人間に与えることのできる最大の罰なのではないだろうか」と、『大鏡』の本来書かれた主旨から離れて、そのような死生観を持ったことを思いだします。
還暦を過ぎて死を身近に考えることが多くなりました。長生きをしたいと思いますが、妻や子どもたちに看取られて旅立ちたいと思います。不老不死などとんでもないことです。子どもとの歳の差が30歳であるなら、私が120歳の時その子は90歳になる計算です。そう考えると120歳まで生きることは決して幸せなことではないと思います。生涯現役で仕事をして、そのさなかにPPK(ピンピンコロリ)とあの世とやらに旅立つのが理想ではないかと思います。
昨日、広尾にある特別養護老人ホーム「麻布慶福苑」に実母がショートスティで宿泊しているので子どもたちと行ってきました。超高齢化社会の日本の一面を見ることができて、これからの自らの生き方を考えさせられた1日でした。
小林 博重