今日は金沢と富山のお取引先訪問で慌しい1日でした。専らMapのビジネスマッチングですが、長い意味でのOUEN Japanのサポートにもなることです。 午後8時まで竹原工務店の竹原社長にご馳走になり、20:41富山発のはくたかに乗車し帰途に着きました。
富山県民歌に、
♪♪仰ぎ見る立山連峰、朝空に輝くところ♪♪
と歌われているように、富山は立山連峰の雄大な自然とアルミ産業をはじめとする工業が盛んな北陸随一の地力のある工業県です。
また、真面目で実直に働くことを厭わない実に堅実な県民性です。
明治の初めには私の生まれ育った能登は富山と合わせて七尾県と名乗っていたこともあるのです。
地域活性化が叫ばれている今日、北陸の活性化のためには、石川・富山がもっと手を携えて協力することがポイントであるのではないかと思います。
石川県が生んだ文豪室生犀星は、
〜ふるさとはとおきにありておもうもの〜
と謳っています。
ふるさと石川を離れてほぼ半世紀になります。東京からふるさと石川を懐かしく想います。
その想いは、私が石川で住んでいるよりもきっと強いものだと思います。それは美しいことしか石川への想いは残っていないし、その想いは強くなる一方だからです。
ふるさとはとおきにありておもうもの
当に真実の言葉です。
小林 博重
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日: 2017年4月24日
人間、苦労してなんぼ
北陸新幹線はくたかで金沢に向かっています。かがやきは東京〜金沢が2時間半ですが、はくたかでも3時間で金沢に到着します。新幹線ができて下駄履きの感覚で金沢に行くことができるのは石川県出身者としては格別の感慨があります。
「人間、苦労してなんぼ」
これは私の確信の域にまで至った実感です。順風満帆、エリート街道真っしぐらの優等生は、才覚と熱意で偉くなっているのが今の日本です。よっぽど人間ができた生まれ持って魂年齢が高い人間を除いて、彼らは自己中心的な人格の持ち主になるのが一般的です。頭脳明晰ではあるもののTPOを解することをしない。社会的地位が高いため、そのことを注意する人もいないので、その傾向は輪をかけて強烈になる。東大卒はその筆頭と思います。
苦労知らずで凡人の私は下手をすればその仲間入りをしていたと思います。ありがたいことに偉くなり損ねて人並みの苦労を重ねてきたおかげで、皆さんからのありがたいご指摘をいただくことができ、少しは人の心が分かるようになったと思います。
やはり厳冬を乗り越えてこそ花開く青春が巡ってくるのです。そして朱夏を経て実り多い白秋を迎えることが「人間が生まれてきた意義」なのだと思います。
心して我が人生を全うしたいものです。
小林 博重
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日々是好日
昨日は浜松町に私用があり、特に時間の縛りがありませんでしたので、外苑前の事務所から浜松町までウォーキングを楽しみました。外苑前〜麻布十番〜赤羽橋〜大門の往復です。天候にも恵まれ、初春らしい爽やかな日本晴れで、清々しい心地で軽い汗を流しました。
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青山墓地の桜は既に葉桜で、数本の八重桜が今が盛りと咲き誇っていました。街路樹はサツキやシャクナゲが満開でした。赤羽橋から芝公園に入ると多くの家族連れが芝生で寛いでいます。初めて芝公園を訪れましたが、さまざまな草花が目を楽しませてくれます。また、芝公園から見る東京タワーと増上寺のコントラストは当に東京名所の感があります。
私が小学生低学年の昭和30年代半ばのころ、東京高輪の叔父さんが東京土産で東京タワーのプラスチック模型を買ってきてくれたことを懐かしく思い出します。東京タワーは昭和34年建設された当時では東洋一のタワーでした。昭和39年に東京オリンピック開催を控え「東京タワー」「東京オリンピック」の首都東京は、能登の片田舎に住んでいた小学生の私のみならず日本中の少年少女には憧れの大都市だったと思います。私は「一生懸命勉強して東京大学に入学して、大きくなったら東京に住みたいものだ」と“花の東京”に憧れていたのです。
忙中閑あり、一昨日の東京大学応援部創部70周年記念パーティーを盛会裏に終え、昨日は、片時のフリータイムで心身をリフレッシュした1日になりました。
今日は、これから金沢と富山の日帰り出張です。これもまた「ふるさとの土を踏む」楽しみがあります。
日々是好日
毎日を楽しくするのも苦しくするのも人の心ひとつ。早く『苦を楽しむ』心境に到達することです。『苦を楽しむ』ことは一生修行の人生を生き抜いていくコツなのだと思います。
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小林 博重