「ヘリキア」を全うする

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産経新聞オピニオン742『浅田真央選手の引退』のエッセーを読みました。人には全
て「ヘリキア」があると言う副題です。一部を抜粋します。
〜どんな才能のある人でも、引退はある。誰もが人間そのものを止める時さえ来る。
それを私たちは死とか寿命とかいうのだが、新約聖書の原語であるギリシァ語では、
「ヘリキア」という言葉が充てられている。
「ヘリキア」を調べてみると、3つの意味というか訳がある。
(1)人間の生から死までも含むいわゆる「寿命」
(2)ある仕事に「適した年齢」
(3)それから私たちが俗にいう「背丈」
である。寿命と背丈については、私たちは悩むことも多いが人間の自由にはならな
い。(中略)
しかし、「職業に適した年齢」というものの意識が、寿命と同じほどの重さで存在す
るとは、私をはじめとして多くの人たちは習わなかったように思う。(中略)
最近では、かなりの年寄りでも、働いてほしいと期待される時代になった。それに応
えることができれば、それも「立派な寿命」の一解釈だ。
まだ若い浅田さんは、半世紀後の、困難を極める人口問題を抱える日本を生きること
になる。その指導者としての大きな仕事が残されていることは、間違いない。今日が
新たな出発の日だ。「ヘリキア」を全うされんことを!〜
天から与えられた寿命や背丈は如何ともしがたいことです。しかし、天から与えられ
た使命を全うするため職業を選択し仕事を全うすることの賞味期限としての年齢は自
らが決めることはできるのではないでしょうか。
それには、想いや使命感の強さとnever give up精神が不可欠です(チャーチルが第
二次世界大戦のおり、破竹の勢いのドイツ軍との戦いに際して演説した「never
never never give up」のフレーズにそれが表現されています)。そして、それは、
昨日のMap応援ブログで記した『宿命+正しい精進努力=好転する運命』にも通じま
す。
残りの寿命はあと何年か知るすべもありませんが、(1)と(2)の私の「ヘリキア」を全
うしたいものです。
小林 博重