自分のために生きることを極める

投稿者:

自らを素直に見つめてみます。幼子の心は無垢なだけであって、濁世に染まらない達観に到達することは至難の技です。無私の心を持つことは不可能に近いことだと思います。一方、利他の心は宇宙の大きな流れであることも揺るぎない真実であると思います。
では、利他と利己は全く対立する概念なのか。未熟な私が思い至った結論は「利己に徹すれば、それは利他の入口に到達するのではないか」と言うことでした。
心学者円純庵さんは『恕〜人に求めない生き方〜』のなかの「自分のため」について、下記のように述べています。
自分のために生きていることが、結果的に人や社会のためになっている。そういう高徳を目指したい。
「人のため」や「社会のため」に生きる人間は素晴らしい。けれど、ほとんどの人間は、自分のために生きるのが精一杯。それは人間として当たり前のこと。これに善悪はないが、それだけでは自分が成した幸福しか返ってこない。
人のために生き、人が幸せになれば、その分は自分にも返ってくる。見返りを期待せずとも、幸福になれるのも、天地自然の万法にある「円の法則」があるが故。徳とは、自分のために生き、そして、人のために生きることである。
人のためや社会のために生きることは至難の技ではあるが、見直してみたい、「自分のため」が社会や誰かの役に立っているかどうか、を。
「自分のため」が廻りまわって、人のため、社会のためになっていれば、それだけで素晴らしい。
私のモットー「ほんとうの自由とは、自分がしたいことをして、するべき義務を果たすことである」
自分に素直に生きる。自分に嘘をつかないで生きる。自由に生きる。そのような自然体で生きて、それが、人のため、社会のためになることであれば、それは利己の最たるものであり、利他の心の入口なのではないかと思います。
小林 博重

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です