日本経済新聞の「池上彰の大岡山通信 若者たちへ127」は【社会へ羽ばたく君に贈る〜自らに胸張れる人生を〜】です。それは、小松左京の短篇『哲学者の小径』を題材にして若者の門出に贈るエッセイです。
『哲学者の小径』は、中年になった主人公が、大学時代を過ごした京都で友人2人と再会し久しぶりに哲学者の小径を歩いていると、生意気な3人組の大学生(彼らは大学時代の主人公たち)に出会い、遂には取っ組み合いの喧嘩になるという話です。
「前途洋々たる若者たちよ」
東芝の不正会計に手を染めた人たちも、かつて学校を出て会社に入ったとき、そんな言葉をかけられたはずです。胸に社員証バッジをつけたときに覚えた感動は、どこに行ってしまったのでしょうか。
「国家国民のために尽くす公僕であれ」
そう言われて大蔵省の入省式に臨んだ人たちもいたことでしょう。大蔵省には、国民の財産である国有地を管理するという大事な仕事もあります。そんな貴重な財産をきちんと説明できない形で売却した人たちは、かつての自分に対し、恥じることはないのでしょうか。日本という国をを守ろうと防衛省に入ったはずが、自分の立場を守るために南スーダンの日報を隠微するようになっていた。
かつて持っていた理想は歳月が経つとともに薄れていく。あれほど溢れていた正義感は、さて、どこへ行ったやら。
君がやがて中年になって哲学の小径を歩き、生意気な若者に出会ったとき、胸を張ることができるのか。そんな人生を送ることができるのか。
私は、大学を出て40有余年、還暦4歳。高齢者と呼ばれる一歩手前の年齢に達していますが、昭和40年代後半の青年時代の自分に出会ったならば
「青春の意気に燃えていた大学時代以上に、今青春を謳歌している。生意気な青臭さから脱皮して、本物の、できた人間になろうとしている発展途上人だ。今が青春。朱夏、白秋を過ぎて、光り輝く玄冬の世界に到達するべく、全力疾走でこれからの人生を走り抜けようと思っている。君の将来は素晴らしいものだ。君の長い人生に祝福あれ!健闘を祈る!」
と声高らかに、20代の自分に、今の思いを伝えたいと思います。
小林 博重