無駄のない後半生を生きる

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産経新聞の【オピニオン】のコーナーに曽野綾子さんが「透明な歳月の光」を連載されています。その「老いの利点」副題〜死ぬ運命の自覚で自由になる〜と題したエッセイを読んで「我が意を得たり」と納得しました。
(前略)
〜私はカトリックの学校に育ち、子供の時から毎日死ぬ日のために祈った。人生はその誕生の日から、モータル(死ぬ運命)にあることを子供の時から教えられる、ということは実に贅沢な教育だった。
それでこそ、初めて自分の人生の日々をどう使うか、という計画もできるし、生命の維持のために手を貸してくれるあらゆる人の行動に深い感謝の気持ちも持てる。
人間が平等であるということは、すべての人に死が1回ずつ必ず与えられていることによって納得できる。その代わり2回死ぬ人もない。
死ぬ運命を見極めると、逆にしたいことがはっきり見える。どうでもいいこともわかる。だから時間を無駄にしない。
しかし現代では、まだこれから何でもできる若い人なのに、したいことがわからない人がいる。こういう人が、つまらない人生を送ることになる老人予備軍である。好きなことをまっしぐらにやれば、そのことで必ず社会に尽くせる。〜
還暦4歳になった今、人生を生きていくにおいて、若い時よりも人生の取り組み方が真剣になったし、これからの後半生は今まで生きてきたよりも無駄に生きることは必ず減少すると思っています。
「何を今更。残りの人生はいったい何年あるんだ」と言われた場合でも私は「健康に留意して、生涯に亙り、世のため人のために尽くす人生を送れば、私の場合、健康寿命は100歳を超すと思います。そう考えれば後35年以上あるのです。短いと言えば短い、長いと言えば長い。35年前は私はまだ20代ですから、それを考えると実に有意義な後半生を送ることができると思っています」と答えることにします。
昨日、私より1歳年上のお姉さんと夕食を共にしたおりにそんなふうに思いました。彼女は長命の家系だそうで、叔父さん叔母さんたちは100歳の時もお元気で会話をされていたそうです。
小林 博重

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