今週月曜日1月9日は「成人の日」でした。20年前に生まれた赤ん坊が成人式を迎えたのです。20年前と言えば、私は44歳。まだ安田信託銀行に勤めていたんだなぁと、あっという間の20年だった気がします。44歳7か月に21年間勤めた会社を退職しました。その当時は、「何を好き好んで安定した会社を辞めるんだ。当に匹夫の勇、若気の至りだ」と家族をはじめ友人知人にも言われました。言わんこっちゃない、生簀の魚が荒海の日本海に放り出されたようなもので、世間の荒波に揉まれ「人生のどん底(私はそう思いました)」に突き落とされた挫折を味わった時期もありました。
今、来し方を振り返ると、私の我儘をどうしようもないと思っても何とか支えようと思い、支え続けてくれた妻に深く感謝するとともに、波乱万丈ではあったが後悔することのない充実した20年であったと思います。
日本老年学会が高齢者の定義を「75歳以上」にすることを提言したように、64歳はまだまだ健康で元気に働き社会に貢献できる年齢です。(私の哲学からすれば、人間の義務として社会貢献しなければならない年齢であると思っています。)高校・大学の同期会で感じることは、「この歳になると、心身共に年齢の個人差が際立つ」ということです。まだまだ青年の域である人がいるかと思えば、75歳の高齢者と見間違えるような人もいます。人は美しく年齢を重ねたいものですが、そのためには、精神の若さを具備して老いていくアンバランスさが欠かせないのではないかと思います。
1月9日の日本経済新聞の「大岡山通信・若者たちへ」で、池上彰さんは、
〜社会に出て、人間関係に揉まれ、仕事上での難題を切り抜けていくうち、人は理想を失い、感性を磨滅させ、恐れを知らなくなっていきます。それが年を取るということでしょう。これは怖いこと。恐れを知らなくなることを恐れよ。〜
〜人生への恐れを持つことは若さの特権です。それがあれば、自分の思想や行動に自省的になり、驕り高ぶることもなく、大きな過ちをしなくなるのだと思います。〜
そして、最後に池上さんは、サミュエル・ウルマンの『青春』の抜粋を書かれています。
〜青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。(中略)年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。〜
小林 博重