心のキャッチボールができる人

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仕事柄、大企業からベンチャービジネス、老若男女とさまざまな人たちと交流の機会を持ちます。私がどのようなお手伝いをすることができるか、ビジネス等のご相談があると私の人脈を紐解き、真剣に、私ができることを考えます。

まずは、私が球を投げることをするのですが、間々お付き合いしていてどうもしっくりいかないことがあります。それは、商材やサービスの良し悪しというよりも、その人の人間性に疑問を持ってしまうことが最大の原因です。心のキャッチボールができないというのでしょうか。『恕』の心が感じられないとき、そのように思うのです。

『恕』とは一言で言えば、他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。

相手の気持ちを察し、投げられた球を投げ返すことがコミュニケーションであり、それができない人はいくら偏差値が高く一流と言われる大学を優秀な成績で卒業した頭脳明晰な人間であっても、「愛すべき人間」ではないし「人生で成功する人間」であるとは思えません。

還暦を過ぎてようやく、「人といい関係を継続していくには、お付き合いしながら『相手との距離感』を決めて、それを一定に保ってお付き合いすることだ」と思うようになりました。

そして『恕』の心が感じられない人とはちょっと距離を置いて、それなりにお付き合いしていくことがストレスのない人生になると感じています。

やはり、私は古い日本人です。【義理と人情】の世界が分かる人と、近い距離感でお付き合いしたいものです。

小林 博重

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