息子たちの成長を喜ぶ。

人生100年、120年と思ってもいつどうなることやら。特に古稀という人生の大台を過ぎてみると、体力の衰えを身を以って実感することもあり、家族の行く末について気を入れて取り組まなければならない年齢になったことを痛感している。

このことは、古稀にして新たな人生のスタートを切ったこととは全く矛盾するものではない。
尚一層、意義ある後半生を送ることにつながることだと思っている。
後顧の憂いなく、後半生を送ることが、素晴らしい人生を送ることになるのだと思うからだ。
そして、中断していたエンディングノートの追加を書き始めよう(このブログも一つのエンディングノートではあるが)。

昨日、スターツ信託を三男と訪問しいろいろご相談に乗っていただいたのもその一環だ。
スターツ信託はスターツグループの信託会社であり、東大応援部と安田信託銀行のいずれの先輩でもある井口一弘さんが設立された会社だ。井口さんとは応援部の現役時代からの半世紀以上に亙る長いお付き合いであり、夫婦揃って公私に亙り大変お世話になっている。 今回のことも井口さんから乙部社長をご紹介いただき、乙部社長には親身になってご相談に乗っていただいている。
人生の”温かい人とのつながり”が人を幸せにする。

私の人生は後半戦であり、まさに人生春夏秋冬の実りの秋だ。
子どもたちとも行く末についていろいろ相談する。3人の息子たちは仲がよく、私たち夫婦はそれをとても幸せに思っている。
ちょっとしたことで、息子たちはまだまだ子どもだと思っていても、社会人として大きく成長していることを痛感する。
それもそうだろう。私がビジネスでお付き合いしている人たちは、私の一回りも二回りも若い人たちだ。殆どが30〜60歳の人たちだ。息子たちも年齢的にその中に入る。それは当たり前だが、息子となるといつまでも子どもの感覚が残っていてそのことが分からない。そして、ある時、アッと驚く為五郎ということになる。

昨日お会いした人の中に私と同年代の人はいない。一回り下の58歳以下の人たちがバリバリ働いている。
昭和40年前後だろうか、植木等の「お呼びでない。こりゃまた失礼しました」というギャグが流行ったが、私の年代はどうもその域に達しているようだ。しかし、私はまだまだ気力を保っているから何とか現役で生き延びている。これがどこまで持つか。後30年、100歳迄は持たせたい。 そのためにも身心一如。これからは心身のバランスを一際考えて仕事をすることだ。
村田英雄の「無理はよそうぜ身体に悪い」を心することだ。ウォーキングもほどほどにしようと思う。積もり積もって、ドッと疲れることだと何をやっているか分からない。今こそ『汝自身を知れ』を肝に銘じることだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

古稀らしいビジネスの仕方を身につける。

この土日は体調が優れず、ほとんど床に伏せっていた。特に熱はない。コロナの心配はない。金曜日に2時間半ウォーキングをしたせいなのか。私は早足なので5km/hだから12.5kmは歩いたことになる。いつものことだからそんなことはないと思ったがそれくらいしか原因が浮かばない。ちょっと無理をしていたのか。
ついでに、ここのところ出たことがなかったしゃっくりが出て止まらない。一旦止まっても少し間が空いてまた繰り返す。横に伏せっていてもなかなか寝つけない。
飛んだ土日だった。
昨日(日曜日)の夕方は裕美ちゃんから紹介されたエステサロンの楊梅桃李経堂を予約してあったので、少し体調が戻ったこともあり出かけた。

楊梅桃李(ようばいとうり) | ビューティートリートメント&リラクゼーションスパ
youbaitouri.com

エステサロンは女性ばかりがお客様と思っていたがさにあらず。男性も一定率いるとか。40〜50代が主だが、30代も60代以上もいる。私を担当していただいたセラピスト(女性)のクライアントの最年長は80代の品のいい女性だとか。

身体の悩みは、女性特有のもののほかに、男女共通の身体の悩みもある。

施術時間は90分。五十肩の治療が目的だったが、問題は肩だけではなく全身のバランスが崩れていること、部分は全体に通じるとのことで、オイルマッサージを含んだ全身マッサージだった。
この女性セラピストは身体のことをよく勉強している。マッサージをしながらのお話しの内容は医学療養士のようだった。

勿論、一回のマッサージでは五十肩は治らない。まずは身体の中に凝り固まっている毒素を少しずつ体外に出すことから始まる。月に1〜2回の施術を受けることにしようと思う。

私の体調がどうも優れないと意識したのは、昨年暮れからだ。それまでは疲れても若い時にちょっと毛が生えたくらいで気にならなかった。しかし、今回はちと違うように感じていた。
そして、体力の衰えや体調の変化はある時急に表に現れてくるものなのか、彼女に聞いてみた。
彼女曰く、
「それは日々衰えているが気がつかないだけです。
アレルギー性鼻炎が突然発症するのは、コップに少しづつ水が溜まって溢れて流れ落ちるのと同じで、日々の無理が積み重なって、ある時にそれがドッと流れ出すんですよ」と。

私もここのところ若い頃以上に無理を重ねていたところがある。その無理が積もり積もってドッと出たということか。
“汝自身を知れ”と言っていた自分が聞いて呆れる。
古稀を過ぎて、生まれ変わってゼロからのスタートと思って、気持ちは青年なのだが、肉体はそうではない。昔はメンテナンスなしでも何とかなったが、今はそうではない。
“汝自身を知れ”と言っているのに、それができていないということだ。
身体は70歳と素直に認めて、前期高齢者らしくメンテナンスに精を出すことだ。そうでないと精神の若さまで失われる。
「くわばら、くわばら」

これからは身体のコスパを高めて、できるだけ効率的に今まで培ってきた人脈と人脈を拡げるテクニックをフルに駆使しよう。

今日は西武信用金庫髙橋理事長のご紹介で恵比寿支店の堀田支店長(執行役員)を訪問し、いろいろご相談をさせていただいた。
女性や中小企業の応援も私のミッションにある。
せいぜい、肉体と精神のバランスを考えて、OUEN Japan の活動を展開していこうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

心が通じる人との楽しい会食

昨日は久しぶりに心の洗濯した一日を過ごした。

お昼には范さんが事務所にいらして、1時間ほどのお話しをして、近くの行きつけの中華料理店(礼華青鸞居)でランチをともにした。

彼女とは昨年の私の誕生日(11.8)に新宿伊勢丹の西櫻亭で初めてお目にかかった。この誕生日会は黄さんが中心となって開いていただいたもの(実は、会場やプレゼントは私がお願いしたもので、妻は「図々しいにもほどがある」と呆れていた。勿論、妻も誕生日会には出席した)で、総勢9人の女性たちが集まってくれた。その中のお一人が范さんだった。

范さんとはこの会を開催することが決まって、その1カ月前からメールのやり取りをしていた。だから、初対面だったのだが、昔からの友人のような気持ちでお会いした。

彼女は人生100年時代の半ばにさしかかった歳になったこともあり、今までの人生を振り返り、その殻を破って、より広く高い人生のステージを生きてみたいと考えていた最中だったようだ。彼女がそんな思いの時に私は彼女に巡り会ったのだ。 お互い、心の琴線に触れ合ったというのだろうか、心の深奥までオープンにして、メールやリアルな会話をして語り合った。
それから3ヶ月。彼女は5月から新天地で第二の人生をスタートするのだと、私に報告しに来てくれた。ありがたいことだ。

稲盛さんは、【人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力】という人生・成功の方程式を私たち塾生に示された。私はこの成功を幸せと読み換えたい。人生の成功とは幸せになることだと思うからだ。

范さんの話をお聞きして思った。彼女はその熱意や能力は抜群であるから成功の人生を送ることができているのだが、それ以上に彼女の人生の考え方、人生を深掘りしていることが何よりの成功の原因なのだということだ。

「私は何のために生まれてきたのか。私に与えられた能力をどう使ったら、その能力を与えて下さった天(神仏)に顔向けできるだろうか」と人生を突き詰めて考えている。そしてブレない哲学まで高めている。それが彼女が幸せになる最大の原因なのだ。 彼女は、ブレない生き方、ブレないスタイルを死守して生きている。何よりも自分に正直に、真っ直ぐに生きている。

彼女の話を聞いて、そのブレない生き方が私の腹にストンと落ちたのだ。
はたして、私はどうだろうか。「森の石松ではいけない。大政にならなければ」と思った。
親子ほどの違いはあるが、歳が子どもの范さんに人生を生きるコツを教えられた気がした。私はこんなことがザラにある。心はまだまだ幼子なのだ。

17時から西櫻亭でMYパートナーズの永田さんと裕美ちゃん(安藤裕美さん、西櫻亭の経営者)との会食があるので、14時半に事務所を出て、2時間半をかけて西櫻亭まで行こうと思った。 直線距離で歩くと40分で着くだろうが、久しぶりのウォーキングをしようと思ったのだ。
外苑前→神宮球場→絵画館前→赤坂御所→四ツ谷駅→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→靖國神社→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→新宿御苑→伊勢丹新宿(西櫻亭) ちょうどピッタリ17時に西櫻亭に到着した。いい運動になった。これでストレスも解消だ。
裕美ちゃんは私の子どものような歳(三男の1歳歳下)だが、気持ちよく私たち古稀を過ぎたおじいさんたちと付き合ってくれる。明るい天真爛漫な人柄だ。決して慇懃無礼ではない。「巧言令色鮮なし仁」ではない。
私の愛娘のような愛すべきお嬢さんだ(私の同期の東北大応援団長だった木島先生(元副学長)は、「愛娘のようなの『ような』はちょっと問題だな。誤解される」と笑っていう。 また、妻は「愛娘のようなではなく、愛娘なんだよね」と言ってくれる。私たち夫婦には息子たちが3人で娘はいないから、やはり裕美ちゃんは私たち夫婦の愛娘だ。

范さんも裕美ちゃんも、心が真っ直ぐで、努力家で、ガッツがある。だから私も心をオブラートに包むことなく何でも話すことができる。

私は、ビジネスライクのみの付き合いは全く得手ではない。ビジネスのベースにハートがないと、お金の切れ目が縁の切れ目になってしまうと思うからだ。人とは長い付き合いをしたいと思う。しかし、心と心の付き合いができる人は出会う人たちの中のほんの一握りなんだろう。世の中はそんなものだ。 稲盛さんは京セラを創設した時のことをこのように書いていらっしゃる。

私は今から35年前、周囲の方々の温かい支援のもとに、7名の仲間とともに京都
セラミック株式会社をつくりました。
会社を始めた頃は十分な資金もなく、立派な建物や機械もありませんでした。ただ私には、家族のように苦楽を共にし、お互い助け合える心と心で結ばれた仲間がありました。
そこで私は、人の心というものをよりどころとしてこの会社を経営していこうと決心しました。それは人の心ほどうつろいやすく頼りにならないものもないかわりに、ひとたび固い信頼で結ばれれば、これほど強く頼りになるものもないと思ったからです。

「人の心は冷たい。されど人の心は何よりも温かい」
私は心の琴線に触れてお付き合いする人をありがたく大切にしたいと思う。
その出会いをつくってくださったのは天であり、天は心を清くして生きている人にそのような出会いを与えてくださる。
因果応報、善因善果ということだ。

久しぶりに心が通じる人たちと楽しい会食をすることができて、ストレスは吹っ飛んだ。
昨日は素晴らしい一日だった。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

フルにWBCイタリア戦をテレビ観戦する。

昨日は、日帰りの富山出張だった。
ジパング倶楽部に入会しているので、乗車距離201km以上の乗車券および特急券は3割引きになる。私は頻繁に北陸と関西への出張があるので活用している(私は「貧乏暇なし」の仕事人間なので、今までほとんどプライベートで使ったことはない。これからは少し悠々人生を楽しむ意味でもプライベートでの活用をしようと思う)。

ほとんどが北陸の出張先は金沢や富山なので、JRのみどりの窓口で購入する。この1回で完結するのだが、今回の出張先は富山県の朝日町、駅は泊駅だった。
しかし、みどりの窓口で、「ここでは、東京⇄糸魚川の往復乗車券と特急券しか購入できません。糸魚川⇄泊はえちごトキめき鉄道の区間なので、糸魚川駅で購入してください」と言われた。 新幹線が開通している区間は地方では第3セクターになっている。
新潟県は「えちごトキめき鉄道」、富山県は「あいの風とやま鉄道」、石川県は「IRいしかわ鉄道」だ。
一気通貫して乗り続けることはできない。切符もそのたびに買わなければならない。それに乗車券代は高い。
新幹線の功罪はこんなところにも出ている。地元の人たちは多く、被害を被っているのではないか。

昨夕は18時半に帰宅できたので、WBC準々決勝「日本対イタリア」戦をフルにテレビ観戦した。
複数のコマーシャルに大谷選手が出てくる。超人気者だ。何と言っても人柄が素晴らしい。超一流にもなるとそうなのか。そうだから超一流になるのか。 誰でも最初は超一流ではないのだから、まずは人格を磨くことから始めることだろう。そうすれば、少しづつ超一流になる可能性が高くなってくる。

サムライジャパンは皆選ばれた一流選手ばかりだが、彼らが皆チームの勝利を第一にプレーしているのが素晴らしい結果を出している理由なのだろう。 それは、大谷選手のピッチングやバントヒットにも現れている。大谷選手だけではない、全ての選手のプレーがそうなのだ。
まずは個の力をつけることだが、そんな一流選手が個人よりもチームのためにと思ってプレーする。これが強い軍団の絶対条件だろう。まさに、スポーツから人生のあるべき生き方を学ぶことができるのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

髙橋忠一さんのご冥福をお祈りする。

昨夕、銀行時代同期の菊本直孝さんから、3月11日(土)に髙橋忠一さんがご逝去されたとLINEをいただいた。
髙橋さんは、私が渋谷支店から神戸支店に転勤した時の次長(副支店長)であり、神戸のあと、人事教育部に転勤したがその時の部長だった。
私が神戸から人事教育部に転勤したのは、新しくつくる人事教育部(髙橋さんが部長)のスタッフとして、是非神戸から小林を異動させてほしいと髙橋さんが強く人事部にかけあったこと故だった。

ちょうど私たち同期が役付にトップ昇格する時だったが、私はその中に入っていなかった。それを髙橋さんは、「人事に異動させる時にトップ昇格でなければ格好がつかない。何とか小林を昇格させて異動させてくれ」と言うことだった(それは異動して髙橋さんから聞いたのだが、私が人事教育部から人事部に異動して、社員の人事考課表を見ることができた時、入社以来の自分の人事考課を見てその通りだったと確認できた。私は自分でも自覚していたが、サラリーマンとしての評価は高い人間ではない。こんなところからも髙橋さんには恩義がある)。

髙橋さんはお名前が忠一であるので、皆んなに「忠さん(ちゅうさん)」と親しみを込めて呼ばれていた。
佐藤栄作元首相は「栄ちゃんと呼ばれたい」と仰ったようだが、「皆んなから愛されたい」と言う願望は偉くなった人ほど強いのだろう。 「あの人は人望がある」とか「素晴らしい人柄だ」とか言われるが、リーダーの中でもトップリーダーは、そのような「人望ある人」であってほしい。

忠さんは私に何を期待されたのか。
それは銀行員に必須な銀行員としての知識とか、銀行員らしい振る舞いとかではない。それは私には所詮無理なことだ。
私に期待されたのはリクルーターのリーダーだった。リクルーターに相応しい若手社員を選別し、そのリーダーになること。私が学生たちを惹きつけるトップリーダーになること。安田信託は信託銀行の中では、三菱、住友、三井に次ぐ4番目だが、小林やリクルーターの人間的魅力で就職戦線を戦っていく。強力軍団をつくることだ。

忠さんとは、飲みながら、精神論を戦わせたものだ。「小林は甘い」としょっちゅう言われた。しかし、私を誰よりも信頼してくださった。 「小林しかできない採用をやれ。流石、小林と言われる採用だ」と発破をかけられた。
そして、忠さんには「勝つ」意味を教えられた。
東大応援部は「勝つぞ、勝つぞ、東大」と言っているが、それは言葉だけでほんとに勝たせようと応援をしていないのではないか。小林もそうなのではないか。 安田は4番目でいいんではないかと心では思っているのではないか。それではほんとの人材は採用できないぞと。

昭和末期の頃だ。それから40年近くが経つ。昭和は遠くなりにけり。
人生とは何ぞやと思う。そして、尾崎士郎の「人生劇場」を思う。早稲田大学第2校歌は「人生劇場」だ。
時代は変わろうとも、人間の生きざまは、その根っこは決して変えてはいけない。
時代に取り残されないために、若者とパートナーシップを取って、「敬天愛人」をベースに堂々と生きることだ。堂々たる「応援人生」を生きることだ。

やると思えば どこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば 心は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

時世時節は 変わろうとままよ
吉良の仁吉は男じゃないか
俺も生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界

心から、髙橋忠一さんのご冥福をお祈りします。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

涙を抱いた渡り鳥

昨夜は21時過ぎに床に就いた。いつもより1時間は遅い。目覚めたのが1時。3時間くらいしか眠っていない。少しうつらうつらして寝入るまでには至らない。こんな時は起きて事務所に行くことに限る。 3時過ぎに事務所に着き、このブログを書いている。

今朝は少し冷える。このところ、春の陽気が続いていたので、今の気温が平年というがそうは思えない。平年よりも高い低いと言っても、その「平年並み」とは過去30年の平均気温ということで、当たり前だが、毎年気温は山坂がある。

人生も同様だ。70歳の平均余命は男が15.08年だそうだ。あと15年くらいしか生きられないということ。そう思って楽しく明るく余生を送ることが70歳の「平年並み」ということなのだろう。 しかし、私は70歳を機に生前葬&出陣式を行い、第二の人生をスタートさせたのだ。
まだまだ第二の人生の0歳と思って生きれば、違った世界が見えてくる。そう思ってこのイベントを行なった。
意思の弱い人は無言実行よりも有言実行で人生を生きることだと思って行なったのだ。

しかし、身体はいたるところガタが来ている。高血圧、高脂血症、痛風の薬は飲んでいるし、健康食品も3種類飲んでいる。さらに今は五十肩で四苦八苦している。 今度の日曜日には五十肩の治療で、経堂の楊梅桃李(女性向けのマッサージサロン、裕美ちゃんの紹介)を受診する。
身体は歳には逆らえない。つくづく、歳は取りたくないものだと思う。
妻は、「もうそろそろ利口になって高齢者らしく生きたらいいのに」と言う。

しかし、生まれ変わった身だ。あと50年生きると思って生涯現役を目指して、できるところまで生きてみたいと思う。
仕事の最中に倒れることが老人の正常な終結だと思って生きようと思う。
勿論、あと半世紀生き長らえたらたくさんの人が迷惑するだろう。それは分かっているが、その心持ちで生きることが幸せな人生を生きることになると思うのだ。

105歳で亡くなられた日野原重治先生は「生き方上手」というご本を書かれたが、同じ「生涯現役」でも、私のそれは決して上手な生き方ではないと正直言ってそう思う。
しかしこればかりは、生まれ持ったキャラクターのなせるところで致し方ない。できるだけ人さまにご迷惑をかけないことを念頭に置いて生きようと思う(その生き方自体が人さまにご迷惑をかけると妻は言う)。

水前寺清子の『涙を抱いた渡り鳥』を思う。
果たして、私はこの歌の主人公なのだろうか。

ひと声鳴いては 旅から旅へ
くろうみやまの 時鳥(ほととぎす)
今日は淡路か 明日は佐渡か
遠い都の恋しさに
濡らす袂(たもと)の 恥ずかしさ
いいさ 涙を抱いた渡り鳥

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

稲盛さんの著作が私のバイブル

今朝は4時過ぎに目覚めた。熟睡とまではいかないが、思いの外眠ることができたようだ。

長い人生には、まずもって、真っ直ぐな一本道が続くことはない。曲がりくねった山道であれば、これが一本道なら人一倍注意を払って前進すればいい。一人で努力すればいい。場合によっては今来た道を引き返してもいいだろう。

しかし、間々、三叉路や交差点に出くわす。目的地が何処にあるかはっきり分かっていて、スマホのマップでチェックできれば何と言うことはないが、人生はそんな甘いものではない。一寸先が闇というのは政治家だけではない。どちらに進めばいいか、悩むことばかりあるのが人生だ。

そんな時、私は、私のバイブルを取り出して何度も何度も読み返す。その私のバイブルとは稲盛和夫さんの著作だ。
『生き方』『考え方』をはじめとした数多くの著作は、私に「生きる指針」を与えてくれる。
それは「人間として如何に生きるべきか」「人間の原点とは何か」そして、「プリミティブな原理原則に立ち返って歩いていくことが幸せへの近道」なんだと教えてくれる。

「不易流行」
何事も時代の変化に合わせて日々自らを変えていかなければ生きていくことはできないが、その変えていく中に、決して変えてはならない「人間としてあるべき存念」を見失うことがあってはならない。
それはプリミティブあり、誰もが親や先生から教わった、そんなことは当たり前だとも言える教えだ。しかし、大人になって生き方上手な人間になると、その当たり前のことができなくなってしまうようだ。

「嘘をつくな」「正直であれ」「人に迷惑をかけるな」「思いやりの心を持て」などなど、誰でも子どものころ教えてもらったことがあること。それは盛和塾で稲盛さんから教えてもらったことだ。その盛和塾の塾生ですら、間違った「生き方上手」な人間になると、その本質を忘れてしまうことが往々にしてあるのだ。

リーダーの在り方を思う。
中国明代の哲学者である呂新吾は「呻吟語」に言う。

深沈厚重なるは、これ第一等の資質
磊落豪雄なるは、これ第二等の資質
聡明才弁なるは、これ第三等の資質

聡明才弁な人間が経営のトップになることが間々ある。いや、そのような人が多く経営のトップを務めているのだ。そして、その人たちはリーダーとしては第三等の資質の持ち主なのだ。見間違えてはいけない。

どちらの道に進むべきか。
人さまのために生きる道、誰にも恥じることのない道を選ぶことだ。
そうすれば、必ずその人は成功する人生、幸せな人生を送ることができる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『動機善なりや、私心なかりしか』と熟慮し、果敢に断行 する。

『動機善なりや、私心なかりしか』と言う稲盛フィロソフィーを反芻する。

大きな夢を描き、それを実現しようとするとき、「動機善なりや」ということを自らに問わなければなりません。自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。

善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは誰から見てもそうだということです。自分の利益や都合、格好などというものでなく、自他ともにその動機が受け入れられるものでなければなりません。また、仕事を進めていく上では「私心なかりしか」という問いかけが必要です。自分の心、自己中心的な発想で仕事を進めていないかを点検しなければなりません。

動機が善であり、私心がなければ結果は問う必要はありません。必ず成功するのです。

山本五十六元帥は、じっとこらえてゆくのが「男の修行」と言ったが、その意味は、「じっとこらえて、熟慮に熟慮を重ねよ」ということだろう。そして熟慮の上で果敢に断行すること、『熟慮断行』だ。それが「できた人として」のあるべき姿なのではないか。

『動機善なりや、私心なかりしか』を今一度よく考えてみよう。

不動院重陽博愛居士(俗名 小林 博重)

iPhoneから送信

まだまだ右往左往の人生

義理と人情を秤にかけりゃ
義理が重たい男の世界
(唐獅子牡丹)

何から何まで真っ暗闇よ
筋の通らぬことばかり
(傷だらけの人生)

ものいわぬははらふくるるわざなり
(徒然草)

恩を受けたら倍返し、三倍返し

稲盛和夫さんは『生き方』の著書の中で「単純な原理原則が揺るぎない指針となる」と仰っている。

魂というものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもするものです。この人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのです。

人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにもっている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものを付け加えていくことにより、私たちの人格(心魂の品格)は陶冶されていくわけです。

どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。

すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった、そして大人になるにつれて忘れてしまう単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。

それは、とてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営をしていくことで迷いなく正しい道を歩むことができ、事業を成功へと導くことができたのです。

そんなことを右往左往しながら考える。

まだまだ私は、「人間」ができていない。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

男の修行⑵

切羽詰まった時や一生に一度か二度しかないような普通ではない時に、その人がどれだけの「人物」であるかが分かる。
世間渡りが上手な人は、平常の時ではその正体をオブラートに包み込み、なかなかその人の正体を見破れないことがある。だから「人物を買い被って」しまう。よほど眼力がある人であってもそれを見破ることはなかなかできはしない。

自分が「人物を買い被って」いたと分かった時、どのようにその人に対処するか。
できた人は、自らの不明を恥じ、そのような人物と分かったことを天の恵みと思い、今まで通りさりげなく、その人と淡々と付き合う。 できない人は、胸の内をあからさまに表に表す。
それが大人と子どもの違いだ。

人は一人では生きていない。生きていけない。多くの人との付き合いの中で生きている。
一人の人とのぎくしゃくした関係が周りの人たちとの関係を悪くしてしまう。どうしたら、皆んなが幸せな気持ちになって生きていくことができるか、そのことを考え処することができる人を「大人(おとな)」という。「大人(たいじん)」という。

人生は一生修行であり、勉強である。
そして、人間は幾つになっても少しずつでも進歩することができる。

山本五十六の言葉を噛み締める。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)